巡礼あれこれ


札の打ちはじめはどこからはじめる??
四国遍路は、その人の出身地によって、どこから札を打ちはじめても良いといわれます。たとえば広島県出身の人が神戸まで出てきて明石海峡大橋をわたり淡路島を経由して鳴門の1番札所にやってくるのは大変なことです。それよりもしまなみ海道を使って愛媛に入ったほうがよっぽど合理的です。しかし、本来は1番から順番にまわることが理想です。

順打ち、逆打ち、区切り打ち、一国参り
札所の巡礼方法は大きく分けて4つあります。順打ちとは1番から順番に打っていく方法。逆うちは88番から打っていく方法。区切り打ちとは順番通りにまわるのではなく、地域を区切って打っていく方法。一国参りとは徳島・高知・愛媛・香川の一国だけを打っていく方法です。
尚順打ちの場合、1番から10番くらいまでは地形的にも比較的なだらかなところにあり、お寺も近くにあるので打ち始めやすく感じます。しかし、逆打ちですと比較的きつい地形となっているため、順打ちよりも困難となります。よって、逆打ちはより一層功徳が得れるといわれています。

なぜ“札を打つ”というのか
かつて巡礼者はお寺に納める札に木札を使っていました。その木札をお堂の柱や壁などに打ち付けたので、ここから札を打つというようになりました。現在では、木札のかわりに紙の札を納めますが、そのまま打つという言葉を使っているのです。

お札の起こり
信心深い人が、僧俗関係なしに、決まった特定のコースを定めずに霊験があると信じられていた山を巡って社寺を参詣するのを「巡礼」と呼んでいました。やがて、熊野信仰から、平安時代の貴族たちの間に熊野詣での習慣が生まれ、その道から西国三十三観音霊場巡礼が定まりました。(西国の方が四国よりも早く定まったとされる)花山院(かざんいん)が永延二年(988)三月、熊野路と那智から出発して巡礼されたとき、紀三井寺で「むかしより風にしられぬ燈火の 光にはるる後の世のやみ」と詠われ、木の札に書いて手向けられたのが「お札」の起こりと伝えられます。それがいつの間にか納札の板に変わったのです。

金剛杖
遍路が一番大切にするものが金剛杖です。杉の白木直径2cm、長さ2mくらいで、上部は4ヶ所に切り込みが入っていて、地水火風空の梵字が書き込んであります。これは五輪塔を形どったもので、卒塔婆の先端と同じです。これは、遍路が途中で亡くなった場合、死体を埋め、その土饅頭の上にこの杖を立てて墓のかわりにしたのです。また遍路中は、杖はお大師さまに見立てて粗末に扱いません。上部を白布や錦で巻き包むのもそのあらわれです。宿につくと、まず自分の手足よりも先に杖を洗い清めるのです。その心は、お大師さまの足を洗う気持ちなのです。常に遍路はお大師さまと「同行二人」なのです。

橋の上では杖をつかない
遍路の途中、橋を渡るときは必ず杖をつかず、引き上げて歩きます。これは、お大師さまが巡錫中、宿に泊めてもらえず、橋の下で休まれ、厳しい寒さの中で一夜が十夜の思いをされたという伝説から「十夜が橋」として遺跡に残っています。橋の下にはお大師さまがおられると見立てて、このような約束になっています。

菅笠(すげがさ)と白装束
菅笠にも「同行二人」と書きます。この他に、「迷故三界城 悟故十方空 本来無東西 何処有南北」(まようがゆえにさんがいのしろ さとるがゆえにじっぽうくう ほんらいとうざいなく いずくんかなんぼくあらん)と四句を書きます。これは真言宗や禅宗で、棺天蓋や棺の蓋や骨壷に書く風習があります。これも遍路が死ねば、その上にこの笠をかぶせることによって、棺の代わりにするのだといいます。ちなみに白装束は死衣装です。むかしの遍路は命がけで、死を覚悟しての旅であったのです。

納経帳
納経とは、巡拝者が寺に経を奉納し、寺がその受け取りを出したことが本来でした。かつては版章を押すのが普通でしたが、次第に墨書きが好まれるようになり現在の形になりました。なお、何回も遍路する人は新しく納経帳を作らず、古い帳に版章だけを押してもらいます。

八十八の由来
四国霊場がなぜ八十八ケ所と定められたかについては、お大師さまが釈迦の八大霊塔の土を持ち帰ってその倍数
に撒いたためとか、「八十八使」という人間の惑を払う霊場として定められたとか、五十三仏と三十五仏とがあって、これらの仏さまを合わせて拝むためなど諸説がありますが、現在のところ定説となっているものはありません。

南無大師遍照金剛
「遍照金剛」とは、お大師さまが唐の国に留学されたときに、その師匠である恵果和尚からいただいた称号であります。「南無」とは「ああ」と感嘆する言葉で、それを続けて唱えれば「ああ、ありがたや弘法大師さま」という意味になります。よって、これをお唱えすることは、すなわちお大師さまにおすがりすることになるのです。遍路はこれをお唱えして巡るのです。

八十八ヶ所のご本尊
八十八ヶ所のご本尊で一番多いのが薬師如来の二十二、次いで十一面観音の十一です。逆にただ一ヶ所だけおまつりしているところが九ヶ所あります。

納札の色
納札の色は、享和二年(1802)の「四国道中手引案内」に、二回青、三回赤、四回黄、五回白、六回黒とあります。天保七年(1836)の「四国遍路道中雑誌」には、七回赤、14回から青、十八回から黄、一回から文字なしの白とあります。最近は、二回青、十回赤、二十回銀、三十回金と定められているようです。

無人売店から接待へ
道端で野菜・くだものが売られ、その横に空き缶がぶら下がり「一袋百円」と書かれています。遍路は一袋をとって百円を入れていきます。いわゆる無人売店です。この風習は、四国路のあらゆるところで見られます。これがさらに徹底すると、お接待というものになります。人を信じ、それが人に施す、人を愛することにつながっていくのです。遍路の根本にあたるものです。

札所と宗派
お大師さまと結びつきが強く、またそれが特色ともなっているので、四国霊場の札所はすべて真言宗と思っている人が多いですが、そうではありません。江戸時代には神社までが札所でありましたし、現在でも天台宗か四ケ寺、禅宗が三ケ寺、時宗が一ケ寺あります。

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